なぜ北海道にヒグマがいて本州にいないのか?ブラキストン線と津軽海峡の謎

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北海道にはヒグマがいるのに、本州にはヒグマがいません。その理由は「ブラキストン線」と呼ばれる、津軽海峡を境にした生物分布の境界線にあります。津軽海峡は氷河期でも完全に陸続きになることがなく、大型の陸上動物が自由に行き来できない「渡れそうで渡れない海」であり続けました。

だからこそ、北海道にはシベリア系のヒグマが、本州には別系統のツキノワグマが、それぞれ独自に住み分けることになったのです。私は北海道に暮らしながら、この境界線の話を知ってから、登山や自然観察の見え方がまったく変わりました。

この記事では、ブラキストン線の正体、ヒグマが本州にいない地質学的・生物学的な理由、そして境界線を挟んで異なる動物たちの世界について、できるだけわかりやすく解説していきます。

目次

ブラキストン線とは何か

ブラキストン線とは、北海道と本州の間を流れる津軽海峡を東西に横切るように引かれた、動植物の分布境界線のことです。1880年、函館に住んでいたイギリス人の動物学者トーマス・ブラキストンが、共同研究者のプライアーとともに、鳥類の分布の違いをもとにこの境界線の存在を提唱しました。

ブラキストンは、北海道と本州で見られる鳥の種類がはっきりと異なることに気づきました。そこからさらに調査が進み、鳥類だけでなく哺乳類や昆虫、植物にいたるまで、津軽海峡を境に分布がくっきりと分かれていることがわかってきたのです。

この功績を称えて、後にこの境界線は「ブラキストン線」と名付けられました。1960年には函館山の山頂に、この発見を記念する碑が建てられています。私も一度、函館山からこの碑を眺めながら、たった一本の海峡がこれほど大きな自然の違いを生み出しているのかと、あらためて驚いた記憶があります。

日本列島の周辺には、実はブラキストン線以外にもいくつかの動物地理境界線が存在します。それでも、北海道と本州という、私たちにとって最も身近な2つの島を分けるこの境界線は、地理的にも文化的にも特に印象深いものだと感じます。

面白いのは、ブラキストン線がきっちり一直線に引かれた境界ではなく、生きものの種類によって、その境界の厳密さが少しずつ異なるという点です。鳥類の中には海を飛んで渡れる種もいるため、津軽海峡を越えて両方の地域に分布する種も存在します。

一方で、地上を歩いて移動するしかない大型の哺乳類にとっては、津軽海峡はより厳格な壁として機能しました。ヒグマとツキノワグマの分布がここまできれいに分かれているのは、まさに歩いて渡ることしかできない陸上動物だからこそ現れた現象だと言えます。

津軽海峡が「渡れない壁」になった理由

なぜ津軽海峡が、これほど強力な分布の壁になったのでしょうか。カギを握るのは、海峡の水深です。津軽海峡は、最も浅い場所でも水深がおよそ130メートルから140メートルほどあります。

氷河期には、地球全体が寒冷化し、大量の水が氷として陸地に閉じ込められるため、海水面が今よりもずっと下がります。最終氷期の最も寒かった時期には、海面が今よりも100メートルほど低下したと考えられています。それでもなお、津軽海峡の海底の深さには届かず、北海道と本州が完全な陸続きになることはありませんでした。

一方、北海道とサハリン(樺太)、そしてユーラシア大陸の間にある海は、津軽海峡よりも浅い場所が多く、氷河期には陸橋が形成されて、大陸から北海道へ動物たちが渡ってくることができました。

つまり、北海道は大陸と地続きになれた時期があったのに対して、本州との間の津軽海峡だけは、最後まで「渡れそうで渡りきれない」障壁として残り続けたのです。この非対称な地形の違いこそが、ブラキストン線という分布境界を生み出した最大の要因だと私は理解しています。

トーマス・ブラキストンとはどんな人物だったのか

ブラキストン線に名を残すトーマス・ブラキストンは、もともとイギリス陸軍の軍人でした。1861年に函館に定住し、貿易商として活動しながら、傍らで熱心に鳥類の標本収集と観察を続けた人物です。函館という、北海道と本州を行き来する船が発着する土地に長く暮らしたことが、彼にとって幸運だったのだと思います。日々、両方の地域から届く鳥の標本を見比べる中で、種類の違いにいち早く気づくことができたのでしょう。

ブラキストンは共同研究者のヘンリー・プライアーとともに、1883年に発表した論文の中で、北海道と本州の鳥類相の違いを体系的にまとめました。当時はまだ「なぜ違うのか」という理由まではわかっていませんでしたが、後の地質学や古生物学の研究によって、津軽海峡という地理的な壁がその答えだったことが徐々に明らかになっていきました。

ブラキストンの名前は、この分布境界線だけでなく、彼が発見に貢献したシマフクロウの学名の一部にも残されています。函館山に立つ記念碑を訪れるたびに、私は150年近く前にこの土地で暮らしていた一人の外国人研究者の観察眼に、あらためて敬意を感じます。

当時のブラキストンには、DNA解析どころか、プレートテクトニクスや氷河期のサイクルといった現代的な知識もありませんでした。それでも、地道な標本収集と観察の積み重ねだけで、これほど本質的な自然の境界を見抜いたというのは、驚くべきことだと思います。

今でこそ私たちは、衛星写真や海底地形図を使って津軽海峡の深さを簡単に調べられますが、ブラキストンの時代にはそうした手段はありませんでした。目の前の鳥という具体的な観察対象から、島々の成り立ちという壮大なスケールの謎に迫っていった発想力に、私はいつも感心させられます。

氷河期のサイクルと日本列島の生い立ち

ブラキストン線の話を理解するには、氷河期という地球規模の気候変動の仕組みを知っておくとわかりやすくなります。地球はおよそ10万年周期で、寒冷な「氷期」と温暖な「間氷期」を繰り返してきました。氷期には、極地や高山に大量の氷床や氷河が形成され、その分だけ海の水が減って、世界中で海水面が下がります。

日本列島の場合、最も寒かった最終氷期の最盛期、およそ2万年前には、海水面が今より100メートルから130メートルほど下がっていたと推定されています。この時期、九州から朝鮮半島にかけての海域や、北海道からサハリンにかけての海域は、浅い場所が多かったため陸橋が形成され、動物たちが歩いて渡ることができました。北海道にヒグマやエゾシカ、ナウマンゾウなどの大陸系の動物が渡ってきたのも、こうした氷期の陸橋のおかげです。

ところが津軽海峡だけは、前述の通り水深が深く、氷期の海面低下でも陸続きになりきりませんでした。今の北海道と本州の間に横たわる海は、地球規模の気候変動という大きなドラマの中でも、最後まで「渡りきれなかった溝」として残り続けたことになります。この地形的な運命のいたずらが、現在のヒグマとツキノワグマの住み分けを生み出したのだと考えると、なんとも壮大な話だと感じます。

北海道のヒグマにも複数のルーツがある

興味深いことに、北海道のヒグマは一つの祖先から均一に広がったわけではありません。遺伝子の研究によると、北海道のヒグマは大きく道南、道東、道央から道西にかけての3つの系統に分けられることがわかっています。それぞれの系統は、氷期のたびに繰り返されたサハリン経由での渡来によって、独立に北海道へたどり着いたと考えられています。

つまり、北海道のヒグマは一度にまとまってやってきたのではなく、何度も繰り返された大陸との陸橋形成のたびに、少しずつ違う系統が流入してきた結果、今の姿になっているというわけです。私はこの話を知ったとき、同じ「北海道のヒグマ」といっても、地域によって遺伝的な背景が異なるのだと知り、あらためてヒグマという動物の奥深さを感じました。道東で見るヒグマと、道南で見るヒグマ、もしかしたら私たちが気づかないところで、微妙な違いがあるのかもしれません。

実はヒグマは本州にもいた?

ここで興味深い事実があります。ヒグマは、実は大昔の本州にも生息していたことが、化石やDNAの研究からわかっています。国立科学博物館や山梨大学、山形大学などの研究によると、本州のヒグマは34万年前よりも古い時代と、14万年ほど前の少なくとも2回、ユーラシア大陸から日本列島へ渡来していたと考えられています。実際に、3万2,500年前や1万9,300年前の地層から、本州のヒグマの化石が見つかっています。

研究チームの分析では、これらの本州のヒグマの祖先集団は、いったんサハリン経由で北海道に入り、その後さらに津軽海峡を南下して本州へと渡っていった可能性が高いとされています。氷河期にはごくまれに、海面の低下や結氷などの条件が重なって、津軽海峡を渡れるタイミングがあったのかもしれません。

この研究がとりわけ興味深いのは、本州のヒグマの遺伝的な特徴が、現在の北海道のヒグマや、ユーラシア大陸のヒグマの系統と細かく比較されている点です。DNA解析の結果、本州のヒグマは北海道のヒグマとは少し異なる、独自の遺伝的なグループに属していたことが示唆されています。

つまり、本州のヒグマは北海道のヒグマがたまたま南下しただけの存在ではなく、独自の進化の時間を歩んでいた可能性があるのです。絶滅してしまった本州のヒグマがどんな姿をしていたのか、想像するだけでも胸が高鳴ります。もし今も本州にヒグマが生き残っていたら、日本の登山文化や自然観察のあり方は、まったく違うものになっていたかもしれません。

ではなぜ、その本州のヒグマは今では姿を消してしまったのでしょうか。氷河期が終わって気候が温暖化すると、本州の植生は大きく変化しました。寒冷な環境に適応していたヒグマは、この変化についていけなかった、あるいは同じ場所に生息していたツキノワグマとの競争に敗れた、という説が有力です。

結果として、本州のヒグマは絶滅し、北海道のヒグマだけが生き残ることになりました。北海道のヒグマが、今なお私たちの目の前にいる存在であることを考えると、この話には不思議な感慨を覚えます。

本州のヒグマが絶滅していった過程は、決して一瞬の出来事ではなく、数千年、数万年という長い時間をかけて緩やかに進んだと考えられています。気候変動によって食料となる植生が変化し、少しずつ生息域が狭まっていく中で、ツキノワグマとの縄張り争いも激しくなっていったのでしょう。

人間の目から見ればあっという間の出来事のようですが、生きものの世界では、こうした緩やかな変化の積み重ねが、種の運命を決定づけていきます。今、北海道でヒグマが当たり前のように暮らしていられるのは、本州のヒグマが辿った運命とは違う環境条件が、たまたま北海道には残り続けたからだとも言えるのです。

なぜツキノワグマは北海道に渡れなかったのか

逆に、本州や四国に広く分布するツキノワグマは、なぜ北海道に渡ってこなかったのでしょうか。理由はいくつか重なっています。

まず、ツキノワグマはヒグマに比べて体が小さく、寒冷な環境や長距離の移動に対する耐性がヒグマほど高くないと考えられています。津軽海峡周辺の厳しい環境は、ツキノワグマにとって渡りきるにはハードルが高すぎたのかもしれません。

また、北海道にはすでにヒグマが定着していたことも大きな要因です。同じような生態的地位(ニッチ)を持つ2種の大型のクマが、限られた資源を奪い合うのは容易ではありません。先に北海道に根を張っていたヒグマがいる以上、ツキノワグマが新たに割り込む余地は少なかったと考えられます。

森林性で行動圏が比較的狭いというツキノワグマの生態的特性も、広い海を越えて新天地を切り開くタイプの動物ではなかったことを示しています。こうした複数の要因が重なった結果、ツキノワグマは今も北海道に定着できていない、というのが現在の有力な見方です。

もうひとつ考慮すべきなのが、津軽海峡を挟んだ海流の存在です。津軽海峡には対馬暖流の一部が流れ込み、比較的速い潮の流れが生まれています。仮にヒグマやツキノワグマが泳いで渡ろうとしても、この海流に逆らって数十キロもの距離を泳ぎきるのは、現実的にはほぼ不可能に近いと考えられています。

氷が張ったとしても、海流のある海峡ではその氷が安定して連続することは難しく、これもまた渡海を阻む要因のひとつだったのでしょう。陸橋という直接的なルートがなかったことに加えて、海流という間接的な障壁も、ツキノワグマの北上を防ぐ役割を果たしていたと考えられます。

ブラキストン線を境に分かれる、ほかの動物たち

ヒグマとツキノワグマの違いは、ブラキストン線がもたらす分布の違いのほんの一例にすぎません。北海道側にはシベリア系のグループに属する動物が多く、本州側には中国大陸や朝鮮半島に近いグループの動物が多く見られます。

北海道側の代表格は、ヒグマのほかに、エゾシカ、キタキツネ、エゾリス、エゾモモンガなどです。かつては北海道にオオカミ(エゾオオカミ)も生息していましたが、明治時代に絶滅しています。これらはいずれもシベリアや大陸北部と共通するグループの動物です。

一方、本州側の代表格は、ニホンザル、イノシシ、ニホンカモシカ、キジ、モグラなどです。ニホンザルは特にわかりやすい例で、世界的に見ても最も北に生息するサルの仲間ですが、その北限は青森県の下北半島で止まっており、津軽海峡を越えて北海道に生息することはありません。私はこの事実を知ったとき、「サルが北海道にいない」というシンプルな事実の裏に、ここまで壮大な地質学的背景があったのかと、深く納得したのを覚えています。

植物についても同様の傾向があり、北海道にはトドマツやエゾマツといった針葉樹を中心とした亜寒帯の植生が広がる一方、本州にはブナやシイ、カシといった落葉広葉樹や照葉樹の植生が広がっています。動物だけでなく、森の姿そのものが、この境界線を挟んで大きく変わっているのです。

下北半島のニホンザルは、本州の中でも最も北で、最も厳しい寒さに耐えながら暮らす集団として知られています。津軽海峡というブラキストン線のすぐ手前で、雪の中で身を寄せ合いながら冬を越すサルたちの姿は、この境界線が生み出したもうひとつの興味深いドラマだと私は感じています。

アイヌ文化とヒグマ、大陸とのつながり

北海道の先住民であるアイヌの人々にとって、ヒグマは古くから特別な存在でした。アイヌ語でヒグマを意味する「キムンカムイ」は「山の神」という意味を持ち、恵みをもたらす神が姿を変えたものとして敬われてきました。イオマンテと呼ばれる、ヒグマの霊を神の世界へ送り返す儀式は、アイヌの精神文化を象徴する重要な行事のひとつです。

私はこの話を知るたびに、ブラキストン線という生物学的な境界線と、アイヌの人々が育んできた精神文化とが、どこか深いところでつながっているように感じます。北海道という土地に大陸から渡ってきたヒグマが定着し、そのヒグマとともに暮らしてきたアイヌの人々が独自の文化を育んだ。

ヒグマがもし本州にも渡っていたら、日本の文化そのものが今とは違う形になっていたかもしれない、と考えると、なんとも壮大な話に思えてきます。のぼりべつクマ牧場のアイヌ生活資料館などを訪れると、こうしたヒグマとアイヌ文化の深いつながりを、より具体的に感じることができます。

日本列島には他にも似たような境界線がある

実は日本列島の周辺には、ブラキストン線以外にもいくつかの動物地理境界線が知られています。代表的なものに、九州南部と南西諸島の間にある「渡瀬線」があります。渡瀬線を境に、爬虫類や両生類、昆虫の分布が大きく変わることが知られており、南西諸島には日本本土とは異なる、東南アジア系の生き物が数多く分布しています。

こうした境界線が複数存在するということは、日本列島がひとつの均一な陸地ではなく、氷河期の海面変動や海峡の深さといった、地形的な条件の積み重ねによって、いくつもの生物地理的なブロックに分かれてきた歴史を持つことを示しています。ブラキストン線は、その中でも私たちにとって最も身近で、なおかつヒグマという象徴的な動物の分布と直結している点で、特に印象に残りやすい境界線だと私は思います。

函館山の記念碑を訪れて感じたこと

私が実際に函館山のブラキストン線記念碑を訪れたときのことです。函館山の山頂からは、津軽海峡の向こうにうっすらと本州の下北半島が見えることがあります。晴れた日には、その距離の近さに驚かされます。地図で見ればほんの数十キロ、目でも見える距離なのに、この海がヒグマとツキノワグマという、まったく異なる進化の道を歩んだ2種類のクマを隔て続けてきたのだと思うと、不思議な気持ちになりました。

記念碑のそばには、ブラキストン線について解説したプレートが設置されており、観光客だけでなく地元の人もふらっと立ち寄っていく様子をよく見かけます。函館観光のついでに、少し寄り道してこの碑を訪れてみるのも、北海道の自然の成り立ちを体感できる面白い過ごし方だと思います。ロープウェイで函館山に登れば、夜景だけでなく、この境界線の物語にも触れられる、一石二鳥のスポットです。

函館は港町として、古くから北海道と本州を結ぶ玄関口の役割を果たしてきました。青函連絡船の時代から、今の北海道新幹線に至るまで、多くの人がこの海峡を越えて行き来してきたわけですが、人間だけはトンネルや船を使って自由に津軽海峡を越えられるようになった一方で、ヒグマやツキノワグマといった野生動物にとっては、今もなお越えられない境界であり続けています。人間の技術の進歩と、自然が作り上げた境界線との対比を感じられるのも、函館という土地ならではの視点だと思います。

境界線を意識しながら北海道と本州の自然を歩いてみて

私は仕事や旅行で本州の山にも登る機会がありますが、そのたびにブラキストン線を実感します。本州の山では、熊よけの鈴を鳴らしながら歩いていても、想定する相手はツキノワグマです。臆病な性格で、こちらの気配を感じればまず先に逃げてくれることが多いと言われています。

一方、北海道の山や原野を歩くときは、相手がヒグマになります。ヒグマはツキノワグマよりも体が大きく力も強いため、遭遇したときの警戒レベルがまったく違います。私は北海道で山菜採りをする際、必ずクマ鈴とクマ撃退スプレーを携帯し、単独行動を避けるようにしています。同じ「クマ」という言葉でも、北海道と本州とでは、その存在感や向き合い方がまるで別物なのだと、実際に両方の山を歩いてみて強く感じました。

この違いを生んだのが、たった1本の海峡だという事実は、何度考えても不思議です。地図の上では目と鼻の先に見える北海道と本州が、生物の世界ではまったく異なる進化の道を歩んできたのですから。

また、北海道の中でも地域によってヒグマとの距離感は異なります。私が暮らす地域では、市街地のすぐ裏山にヒグマの目撃情報が出ることも珍しくありません。トウモロコシ畑や果樹園が荒らされたというニュースを見るたびに、ヒグマが決して遠い山奥だけの存在ではなく、私たちの生活圏のすぐそばにいる隣人のような存在なのだと実感させられます。

一方で本州の友人に話を聞くと、ツキノワグマの目撃情報はあっても、ここまで生活圏に近いと感じる頻度は少ないようです。こうした体感の違いも、ヒグマとツキノワグマの体格差や行動範囲の違いを反映しているのかもしれません。

北海道で暮らしていると、春先の山菜採りのシーズンや、秋のキノコ狩りのシーズンになると、必ずと言っていいほどヒグマ出没のニュースが増えます。これは、ヒグマが冬眠明けや冬眠前にたくさんの食料を必要とする時期と重なるためです。こうした季節性を知っておくことも、北海道の自然と上手に付き合っていくためには欠かせない知識だと感じています。

ヒグマ以外にも見られる、北海道だけの生きものたち

ブラキストン線がもたらす違いは、ヒグマとツキノワグマの対比だけにとどまりません。北海道には、大陸との地続きの歴史を物語る、独自の生きものがほかにもたくさんいます。

エゾナキウサギ

たとえばエゾナキウサギは、氷河期の生き残りとされる小さな動物で、大雪山や日高山脈などの高山の岩場に生息しています。本州にはナキウサギの仲間は生息しておらず、北海道でしか出会えない、氷期の記憶を今に伝える貴重な存在です。私も大雪山を訪れた際、岩の隙間からひょこっと顔を出すナキウサギに出会ったことがありますが、あの愛らしい姿には、思わず時間を忘れて見入ってしまいました。

エゾモモンガ

エゾモモンガも北海道特有の生きもので、本州にはニホンモモンガという近縁種が別に生息しています。両者は姿がよく似ていますが、遺伝的には異なる種として扱われており、これもブラキストン線を挟んだ独自の進化の結果です。冬の森でエゾモモンガが滑空する姿を見られたら、それはとても幸運なことだと言われています。体長はわずか15センチほどしかなく、つぶらな瞳とふわふわの尻尾が愛らしいと、地元でも人気のある動物です。

エゾオオカミ

さらに、かつて北海道にはエゾオオカミという、本州のニホンオオカミとは別種のオオカミが生息していました。残念ながらエゾオオカミは、明治時代の開拓期に、家畜を守るための駆除政策などによって絶滅してしまいました。もしエゾオオカミが今も生き残っていたら、ヒグマとともに北海道の生態系の頂点を担う存在として、私たちの目に触れていたかもしれません。そう考えると、失われてしまった自然の重みを感じずにはいられません。

エゾオオカミの絶滅は、人間の活動が北海道の生態系のバランスに大きな影響を与えた出来事でもあります。天敵がいなくなったことで、エゾシカの個体数が増えすぎてしまい、農林業への被害が深刻化しているという現代の課題にもつながっています。ブラキストン線という自然が作った境界線と、人間の開拓の歴史が生み出した境界線、その両方が重なり合って、今の北海道の生態系ができあがっているのだと私は感じています。

この知識をどう自然観察や登山に活かすか

ブラキストン線の知識は、単なる雑学にとどまりません。北海道の山や森に入る予定がある人にとっては、実用的な備えにもつながります。

まず、北海道ではヒグマを前提とした対策が必須です。クマ鈴や撃退スプレーの携帯、単独行動を避けること、早朝や夕方の行動を控えることなど、本州のツキノワグマ対策よりも一段階、警戒レベルを上げて臨む必要があります。当サイトでは「北海道ヒグマ警戒レベルとは」という記事で、登山者や狩猟者向けの警戒レベルの仕組みを詳しく解説していますので、実際に北海道の山に入る予定がある方は、あわせて確認しておくことを強くおすすめします。

逆に本州から北海道へ旅行や登山に来る方は、「本州の感覚のままではいけない」ということを、まずこの記事で知っておいてほしいと思います。ヒグマとツキノワグマは同じ「クマ」というくくりで語られがちですが、体格も力も、そして人との距離感もまったく異なります。この違いを正しく理解しておくことが、北海道の自然を安全に楽しむための第一歩になります。

もうひとつ、この知識を活かせる場面があります。それは、北海道の自然を「なぜこうなっているのか」という視点で楽しむことです。単に「北海道にはヒグマがいる、きれいな景色がある」で終わらせるのではなく、その背景にある地質学的な歴史や、氷河期を生き延びてきた動植物のドラマを知ることで、旅の体験は何倍にも豊かになります。

私は観光客の方を案内するとき、必ずこのブラキストン線の話をします。すると、多くの人が「そういうことだったのか」と、目の前の自然の見方が変わったような表情を見せてくれます。知識は、旅の解像度を上げてくれる、いちばん手軽な道具なのだと思います。

ヒグマとツキノワグマの違いをより実践的な観点から知りたい方は、当サイトの別記事「ヒグマとツキノワグマの違い」もあわせてお読みください。大きさや性格、危険度など、より具体的な違いを詳しく解説しています。

また、実際にヒグマを間近で観察してみたいという方には、のぼりべつクマ牧場や昭和新山クマ牧場といった、安全な環境でヒグマに出会える施設を訪れることもおすすめです。写真や文章だけでは伝わらない、あの体の大きさと迫力を実際に体感すると、ブラキストン線という境界線の話が、より一層リアルに感じられるはずです。私自身、何度もヒグマを見てきましたが、そのたびに「この動物がなぜここにいて、なぜ本州にはいないのか」という問いに、あらためて思いを馳せています。

よくある質問

Q. ブラキストン線は誰が発見したのですか。

A. イギリス人の動物学者トーマス・ブラキストンが、共同研究者のプライアーとともに1880年に提唱しました。函館に住みながら日本各地の鳥類を調査する中で、北海道と本州の分布の違いに気づいたことがきっかけです。

Q. 津軽海峡はなぜ氷河期でも陸続きにならなかったのですか。

A. 津軽海峡は最も浅い場所でも水深130メートルから140メートルほどあります。最終氷期に海面が100メートルほど下がったとしても、この深さには届かず、完全な陸橋が形成されることはありませんでした。

Q. 本州にヒグマがいたというのは本当ですか。

A. 本当です。化石やDNAの研究により、本州には34万年前より古い時代と14万年ほど前の少なくとも2回、ユーラシア大陸からヒグマが渡来していたことがわかっています。気候変動やツキノワグマとの競争などが原因で、その後絶滅したと考えられています。

Q. ツキノワグマはなぜ北海道にいないのですか。

A. ツキノワグマは体が比較的小さく、寒冷な環境や長距離の移動への耐性がヒグマほど高くないと考えられています。加えて、北海道にはすでにヒグマが定着していたため、同じニッチを持つツキノワグマが割り込む余地が少なかったことも要因です。

Q. ヒグマとツキノワグマ以外に、ブラキストン線で分布が分かれる動物はいますか。

A. たくさんいます。北海道側にはエゾシカやキタキツネ、エゾリス、エゾナキウサギ、エゾモモンガなど、本州側にはニホンザルやイノシシ、ニホンカモシカなどが代表的です。植物でも、北海道の針葉樹林と本州の落葉広葉樹林という違いが見られます。

Q. ブラキストン線を実際に見ることはできますか。

A. 目に見える線が引かれているわけではありませんが、函館山の山頂にはブラキストン線を記念する碑があります。津軽海峡を挟んで北海道と本州を眺めながら、この境界線に思いを馳せることができるスポットです。晴れた日には本州側の下北半島まで見渡せることもあり、境界線の存在をより身近に感じられます。

Q. 北海道旅行でヒグマに遭遇するリスクはどれくらいありますか。

A. 市街地や観光地で遭遇することはまれですが、山間部や原野に入る場合はリスクがゼロではありません。事前にクマ鈴や撃退スプレーを準備し、単独行動を避けるなどの対策を取ることが大切です。詳しい警戒レベルの考え方は、当サイトの関連記事もあわせてご覧ください。

Q. ヒグマとツキノワグマが両方生息している地域はありますか。

A. 現在の日本国内では、ヒグマは北海道のみ、ツキノワグマは本州と四国のみに生息しており、両方が同時に生息している地域はありません。ただし過去の本州には両方が生息していた時期があったことが、化石の研究からわかっています。

Q. エゾオオカミやナウマンゾウも同じように大陸から渡ってきたのですか。

A. はい。エゾオオカミやナウマンゾウも、氷河期にサハリンや朝鮮半島を経由してできた陸橋を通って、大陸から日本列島へ渡ってきたと考えられている動物です。ナウマンゾウは本州でも化石が多数見つかっており、当時の日本列島が大陸と地続きだったことを示す代表的な証拠のひとつです。

Q. ブラキストン線について、もっと詳しく学べる場所はありますか。

A. 函館山の記念碑のほか、北海道内の博物館や資料館でも、ブラキストン線や北海道の動物相の成り立ちについて解説する展示が見られることがあります。ヒグマ博物館を併設したのぼりべつクマ牧場のような施設も、あわせて訪れると理解が深まります。

まとめ

北海道にヒグマがいて、本州にいない理由は、津軽海峡という「渡れそうで渡りきれない壁」が生み出したブラキストン線にあります。氷河期でも完全に陸続きにならなかった津軽海峡が、北海道と本州の動物相をシベリア系と大陸系という異なる系統に分けました。

かつては本州にもヒグマがいたという事実は、この境界線の物語をさらに奥深いものにしてくれます。北海道に暮らす私にとって、ヒグマという存在は日常の延長線上にありますが、その背景にはこれほど壮大な地質学的なドラマがあったのだと知ると、見える景色が少し変わってきます。北海道を訪れる際は、ぜひこのブラキストン線の物語を思い出しながら、この土地の自然に触れてみてください。

最後にもう一度、大切なポイントを振り返っておきます。津軽海峡は氷河期でも陸続きにならなかった深い海であり、これが北海道と本州の動物相を分ける決定的な壁になりました。北海道にはシベリア系のヒグマが、本州には別系統のツキノワグマが定着し、その境界は今も変わらず続いています。

かつて本州にもヒグマがいたという事実は、この境界線が単なる固定された壁ではなく、長い時間の中で揺れ動いてきたものであることを教えてくれます。次に北海道の自然に触れるときは、ぜひ足元に広がるこの壮大な物語にも思いを馳せてみてください。

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北海道で暮らして30年。1児の父親です。
北海道での生活や北海道の観光地など、北海道にかかわることを取り上げていきたいと思います。

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